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岡山地方裁判所 昭和40年(ワ)553号 判決

原告 医療法人和光会

右代表者理事 内藤尚之

右訴訟代理人弁護士 河原太郎

被告 中山正昭

被告 大森千登世

被告 坂本雅夫

右被告三名訴訟代理人弁護士 小野敬直

同 黒田充治

主文

一、被告大森千登世、同坂本雅夫が原告の理事でないことを確認する。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用中、原告と被告中山正昭との間に生じたものは原告の、被告大森千登世との間に生じたものは二分し、その一を原告の、その余を同被告の、被告坂本雅夫との間に生じたものは同被告の各負担とする

事実

第一当事者の求める裁判

原告

一、被告中山正昭および被告大森千登世は原告の社員でないことを確認する。

二、被告大森千登世および被告坂本雅夫は原告の理事でないことを確認する。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

被告ら

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

原告

一、原告は昭和三九年四月設立された医療法人であり、設立当時の社員は、山本弘毅、坂本茂樹、山本順、坂本厳、坂本雅夫、内藤雋輔および内藤尚之の七人であった。

二、原告の定款第五条の規定によれば、社員となろうとする者は総会の承認を得なければならない旨定められているが、被告中山正昭および同大森千登世は昭和三九年八月一五日の臨時社員総会において、その承認を得たから、原告の社員であると称している。

三、しかしながら、右臨時社員総会なるものは、適法に招集されたことがなく、そもそも開催されたこともない。

当時、原告の理事長は山本弘毅であったが、原告の定款第二五条の規定によれば、総会の招集は理事長の権限に属し、また同第二九条の規定によれば、その手続として、五日前までに会議の目的である事項、日時および場所を記載し、理事長がこれに記名した書面で社員に通知しなければならないことになっているところ、右山本は前記臨時社員総会を招集したことなく、また右所定の通知もなされておらず、したがって、事実、かかる臨時社員総会なるものは存在しなかった。

もっとも原告の昭和三九年八月一五日臨時社員総会議事録と題する文書が存し、これによれば、かかる総会が開催され、被告中山正昭、大森千登世がこの総会において原告の社員となることにつき所定の承認がなされた旨記載されているけれども、この文書は、当時の常務理事坂本茂樹が、恣に原告の事務所に置いてあった理事長山本弘毅印を使用し、理事内藤尚之、同山本順については、内藤、山本と刻した有合印を使用して虚偽架空の内容を記載したものである。

以上の次第で被告中山正昭、大森千登世は原告の社員であるとはいえないから、その確認を求める。〈中略〉。

被告ら

一、原告の主張一、二の事実を認め、同三の事実中、その主張の定款の規定が存することは認めるが、その余の事実は争う。同四の事実を認め、同五の事実中、坂本茂樹がその主張の他の社員らと相謀って、理事長山本弘毅を失脚させることを企てたこと、その主張の臨時社員総会が被告坂本雅夫、大森千登世を理事に選任する決議をする前に散会したことおよび右決議をなすにつき定款所定の定足数が欠けていたとの事実を否認し、その余の事実を認める。

二、被告中山正昭、大森千登世の社員資格について

原告が設立された昭和三九年四月当初の総出資額はわずか四〇〇万円にすぎず、これに対して施設の賃借、医療器具の購入、人件費等支出を要する金員は多額にのぼり、発足後間もない同年七月頃には、はやくも資金繰りに困窮し、提供すべき担保もなく、取引銀行の融資枠も限度一杯であったので、その示唆をえて、やむなく増資して当座の資金を捻出せざるをえなくなったため、原告の経理を担当していた常務理事坂本茂樹は、理事長山本弘毅、理事内藤尚之と相談したうえ、二〇〇万円増資することとし、そのうち一〇〇万円は従前からの社員である山本弘毅、坂本茂樹、内藤尚之、坂本雅夫の四名で引受けるべく、残りの一〇〇万円については原告の従業員である被告中山、大森に均等に負担させ、この引受による出資で、同人らを新たに原告の社員に加えることとし、昭和三九年八月一五日の臨時社員総会において、これら一連の事項を内容とする議案は承認され、これにともない岡山県知事から原告の定款変更の認可をえて、増資の登記を了した。このような経緯で同被告らは原告の社員となったものである。

仮に右被告らが社員となるについて、昭和三九年八月一五日の臨時社員総会における承認がなされた事実が認められないとしても、昭和四〇年六月の定時社員総会で、全員出席のうえ、右増資を含んだ決算を全員異議なく承認しているのであるから、少なくともこの時をもって、右被告らが社員となることについて所定の総会の承認があったと解すべきである。

原告の運営の実情は、創立準備のころから、昭和四〇年一〇月一〇日の臨時社員総会までは、発起人もしくは社員中、坂本茂樹、内藤尚之、山本弘毅の三名が相談して処理してきたのであって、この間他の発起人もしくは社員らは右三名にまかせきりで、異議をさしはさんだこともなく、たとえ形式的な手続の点において欠けるところがあっても、その運営は社員の総意による了承をえてなされてきたものであり、現に坂本茂樹の提案にしたがってそれぞれ増資出資金を調達し、ことに右被告両名が原告の増資引受によって出資する資金の一部を岡山市民信用金庫から借受けて調達するにあたっては、坂本茂樹のほか内藤尚之までが連帯保証している有様で、昭和四〇年八月頃から山本弘毅、内藤尚之と坂本茂樹との間に不和が生じたからと言って、今更、それまで社員中の何人も問題視することなく推移してきた形式的手続的瑕疵を強調し、被告中山正昭、大森千登世の社員資格を争うことは禁反言の原則に反し、信義則上も許されることでない。〈以下省略〉。

理由

一、原告が昭和三九年四月に設立された医療法人であって、設立当時の社員は山本弘毅、内藤尚之、坂本茂樹、内藤雋輔、坂本厳、坂本雅夫、山本順の七名であること、被告中山正昭、大森千登世が昭和三九年八月一五日付の臨時社員総会議事録において第一号議案社員増員の件として、右社員全員出席のもとに、満場一致をもって原告の社員となることについての承認がなされた旨記載されていることは当事者間に争がない。

二、原告の定款第五条の規定によれば、原告の社員となるには、総会の承認をえなければならない旨定められていることは当事者間に争がないところであるから、前記議事録の記載内容にそう承認がなされたか否か、そしてそれが果して有効と言えるかどうかについて判断する。

〈証拠〉を綜合すれば、次のとおり認めることができる。

内藤尚之、山本弘毅はともに医師であるが、岡山大学医学部レントゲン科の主任教授が定年で退官するのにともない、右両名が推薦していた候補者が後任の主任教授になれなかったところから、各その勤務先を辞し、再出発しようと考えていたところ、たまたま医療器具の販売を掌っていた坂本茂樹のすすめにしたがって、昭和三九年二、三月頃、医療法人を設立しようと考え、三者相ともにその準備をはじめたが、資金調達や設立手続等については、主として坂本茂樹の意見にしたがい、同年四月に原告の設立をみた。しかし発起人のうち坂本厳は右坂本茂樹の父、坂本雅夫は弟、内藤雋輔は右内藤尚之の父、山本順は右山本弘毅の妻で、その顔ぶれは、いずれも当初原告の設立を企図した三名の身内であって、設立準備の頃はもちろん、設立の後も、右七名が社員というものの、原告の運営は当初の経緯から自然前記三名の相談によってなされ、他はすべてこれに委せるという状況であった。したがって発足後の理事長を山本弘毅、常務理事を坂本茂樹、医療関係では院長を内藤尚之がするということもこの三名で決め、誰も異議をとなえることなく、そしてこの三名のうち山本、内藤はともに前記のように医師で、事務手続や経理には必ずしも明るくなかったため、いきおい、主務官庁に対する折衝やその手続、資金の調達をはじめとする経理関係の事務等、法人の組織、運営に関する仕事は、あげて坂本茂樹の肩にかかり、他の二名も同人を頼りとする有様であった。このような状況の下に、原告はその設立の際も、所定の手続を踏んだ創立総会をせず、坂本茂樹において形式のみを整えた書類を作成し、他のものはすべて、その意にしたがい、主務官庁への手続を了した。かくして原告は発足したが、診療所、事務所の賃借、模様替、医療設備の整備充実、人件費等多額の出費を要するのに、未だこれに見合う収入をあげえない当初の期間は、出資金総額四〇〇万円では運営資金にもこと欠き、ことに原告の経理を担当する常務理事坂本茂樹の労苦はなみ大抵ではなかった。そこで同人は、同年七月頃、取引銀行である中国銀行清輝橋支店より、担保に供すべき固定資産もなく、金融限度も一杯であるから、増資することによって資金の調達をしてはどうかと示唆され、それ以外に資金調達の途はないと考えるにいたり、この旨を理事長山本弘毅、院長内藤尚之に相謀り、社員のうち四名が一〇〇万円を引受け、ほかに従業員のうちから、被告中山正昭、大森千登世を選び、同人らに五〇万円宛計一〇〇万円を引受けさせて社員とすることにし、前記山本、内藤もこれに賛意を表した。そして坂本茂樹からこの旨を伝えられた被告中山正昭、大森千登世の両名は、これに応じ、昭和三九年八月二七日、岡山市民信用金庫から右出資に必要な資金の一部の貸付をうけ、これについては坂本茂樹のほか内藤尚之も連帯保証した。そして無事二〇〇万円の出資が完了したが、その際、定款所定の臨時社員総会は従前どおり開かれないまま、坂本茂樹が主務官庁の認可を受けるに必要な書類すなわち、増資によって社員が二名増えることにともなう同年八月一五日付の臨時社員総会決議録、定款変更認可申請書等一切を作成し、その頃これを持ちまわって各社員の了承をえたうえ、主務官庁に提出し、その認可をえて増資の登記を了した。その後翌年六月頃には、原告の創立一周年記念ということで、定時社員総会が開かれ、右増資、したがって被告中山、大森の両名が社員となったことについて全社員のうち誰一人としてこれを不当であると非難するものもなく、ただこの両名の給与をどうするかということが話題となった程度で、増資を前提とする決算案も異議なく可決され、その後毎年開かれている定時社員総会でも増資を前提とする決算案がいずれも可決され、また、これら一連の経緯のうちに、これによって、とくに第三者に不測の損害を与えるようなこともなかった。

右事実によれば、被告中山正昭、大森千登世が社員となるについて、定款所定の社員総会開催の手続は、形式上履践されていなかったと言わざるをえない。しかしながら、そうだからといって主務官庁の認可申請に添付された昭和三九年八月一五日付の総会議事録が全く架空虚偽の事実を記載したものとはいえないのであって、少なくともその記載内容は当時の総社員が一致して希望し、かつ持ちまわりで了承したものである。法人の機関が意思決定をなすにあたって、いやしくもその形式的手続をゆるがせにしてよいとは言えない。それどころか、法人の組織が大なればなるほど、そしてその営む機能が大なればなるほど、いよいよ形式的手続は厳格でなくてはならないものである。しかし本件の場合、原告が法人として発足するそもそもの時点から、極く限られた人数の、したがってまた人的色彩の強い特色を帯有し、内部の組織における事務分掌も不分明のまま、すべて運営を坂本茂樹の手腕に期待し、委せ、これによって、その僅かな社員のすべての意思が統一を保ってきたし、被告中山正昭、大森千登世が社員となるについても、これだけの背景があり、かつこのことによって対内的にも対外的にも格別の不都合を生ずることはなかったのであるから、前記持ちまわりによる新社員承認の件は、右事情の存する限度において、総会における承認に準ずべきものとして、その効力を認むべく、その形式的手続上の瑕疵を重視するのあまり、軽々にこれを無効とすることは相当でない。厳格に言えば、創立総会すら問題視しうるであろう。しかし原告は医療法人として、とにもかくにも社会的活動をする生きた実在としての役割を果してきたのである。

かくして、当裁判所は被告中山正昭、大森千登世が原告の社員であると認めるものである。〈以下省略〉。

(裁判長裁判官 裾分一立 裁判官東条敬、同佐々木一彦は、転任につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 裾分一立)

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